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◆平成27年度 稲葉真弓 懸賞論文 選考結果

◇テーマ 『言葉』

◇応募総数538点
 津島北高等学校 123点 五条高等学校  24点 稲沢東高等学校  2点
 海翔高等学校   7点 津島東高等学校 11点 美和高等学校   1点
 清林館高等学校  3点 杏和高等学校  6点 津島高等学校  361点

◇入賞作 点
 <最優秀賞> 1点
  津島東高等学校   澤田 悠輔

 <優秀賞>  1点
  津島東高等学校   水野 裕貴

 <佳作>   3点
  五条高等学校    椙山 菜々子
  五条高等学校    小原 一馬
  清林館高等学校   加藤 三奈

◆平成27年度 懸賞論文 最優秀作・優秀作

最優秀作 「友達はどうやって作ればいいのだろう」 津島東高等学校  澤田 悠輔

友達はどうやって作ればいいのだろう。幼い頃から現在までずっと考え続けてきた。

今、僕にはクラスに二人程度、気軽に話すことが出来る友人がいる。これを多いか、それとも少ないかを判断するのは個人の価値観にもよるだろうが、僕にとっては十分な数だ。中学二、三年の頃の僕に、友達と呼べる人は一人もいなかったのだから。

僕は、人と人が知り合いになる時、必ずそこには『言葉』が介在しているのだと思う。

例えば、初対面の人と友達になる時、まず『言葉』で挨拶をする。次に『言葉』に自分の情報を乗せ交換し合う。そして話をしていく中で相手と自分との共通項となりそうなところを探し、見つけたらそれを『言葉』に落とし込み、お互いの接点となるキイワードにする。キイワードを起点にして話を盛り上げていき、屈託なく笑い合うまでに打ち解けることが出来たのならば、もうその人とはほとんど友達だと言っていい。一旦別れても、後日また別の話題を探す。こうして相手の未知の部分をだんだん少なくしていく。お互いに自分の存在を分かち合い、浸透させ合う。大袈裟に言うならば、相手と自分が一体化していくような感覚がそこにはあるだろう。

つまり『言葉』とは人と人との掛け橋であり、相手との距離を近づけるための重要な道具である。『言葉』さえ使うことが出来れば、相手との繋がりが断たれることはない。逆に言えば、『言葉』を上手く使うことが出来なければ、人との関わりを保っていられることは難しい。

僕は『言葉』を上手く使うことの出来ない人間だった。

クラスメイトに話しかけられた時、どんな対応をすればいいのか全く分からなかった。他愛のない話、些細な世間話であっても、僕は妙にのぼせ上がり、呂律が回らなくなった。舌だけが焦り始め、何だか分からぬ発音をし始めた。僕がもごもごと口を動かしている間に、話しかけてきた人は何かおかしなものを見るような目で僕を見て、途中で話を切り上げ離れて行く。そんな相手の反応に対して、僕は居た堪れない気持ちで目を伏せるだけだった。こんなことが繰り返されて、僕は知性に欠ける人間だとクラスメイトから判断されるようになっていった。

僕は発音障害や、何か知能に関わる病気を抱えている訳ではなかった。話し下手、というだけのことである。しかし、それは僕にとって非常に重要な問題だった。『言葉』を上手く使うことの出来ない僕は、一体どうやって友達を作ればいいというのか。本来、他者と関われる手段であるはずの『言葉』が、僕と他者との距離を隔ててしまっては、それをどうやったら縮めることができるというのか。『言葉』は不自由な人間に対しては、こうも冷酷な壁に変貌するものなのか。

だとしたら、『言葉』とは余りにも不自由な物ではないか。僕は、『言葉』に絶望を覚えた。

それから僕は、他者と関わることを自分から避けるようになっていった。傷付くことよりも、孤独を選んだ。『言葉』に不自由な人間には、それが一番賢明な生き方なのだ。そう思うようになった。

中学二年生の夏、僕はもう一人の『言葉』に不自由な人間に出会った。それは同じクラスに在籍する、オウェンと言う少年だった。彼はフィリピン生まれの、背の高い黒人だった。父親の仕事の都合で、日本に渡ってきたらしい。彼の日本語はあまり堪能とは言えない、たどたどしいものだった。当然、僕が積極的に彼と接触できる訳がなく、ましてや英語など話せるはずもなかった。だから、僕とは接点の無い人間だと率直に感じた。特に関わることも無いだろうと思っていた。

七月上旬の頃だった。教室で僕は突然、オウェンに話しかけられた。僕は正直当惑しながらも、彼のたどたどしい日本語を聴きとった。どうやら、僕の好きな歌手について話しているようだった。僕は以前、クラスの前で自分の好きな歌手について発表したことがあった。今は亡き黒人のスター歌手マイケル・ジャクソンである。話しかけられるまで知らなかったのだが、彼も僕と同じくマイケルの大ファンだったらしく、それが僕に話しかけるきっかけになったようだった。同じ歌手のファンということを知って、僕は嬉しかった。でも、持ち前の話し下手を発揮してしまうのが怖かった僕は、楽しそうに話す彼に終始愛想笑いを浮かべて、自分から会話しようとはしなかった。僕の様子を見て取った彼は、笑顔で僕の肩を叩き、去って行った。

僕がオウェンと再び会って話をしたのは、夏休みの公民館でのことだった。

僕はそこに本を借りるために来ていたが、彼は日本語を習うためだった。図書室にて、彼は僕の姿を見るとすごく嬉しそうな表情を浮かべ、一緒のテーブルに座ることを、少し上達した日本語で僕に要求した。ここで断ってしまっては、彼を傷つけてしまうだろうと僕は思い、大人しく彼の隣の席に腰かけた。

最初に話したのはマイケル・ジャクソンのことだったと思う。そこから、彼の生い立ち、趣味、家族、学校、故郷の友人について、様様なことを語った。彼はそれらのことを全て日本語で伝えてくれた。英語は一言も使わなかった。どうしても英語でしか意味を考えられない場合、例えば『太陽』を伝えたい時、彼は円の周りに直線が生えた絵を描いた。太陽のこと、と僕が言うと彼はタイヨウ、と復唱した。僕は気を遣って、極力英語を使って話そうとしたのだが、その都度彼は苦笑を浮かべながら日本語で返答をした。

いつのまにか、僕は彼と話している内に自分が話し下手であることを忘れていた。ほとんどつまることなく、会話に熱中している自分がいた。『言葉』を覚え始めたばかりの幼児のように、僕は彼の『言葉』に聴き入っていた。楽しい、という感覚が僕の体を渦巻いていた。その一方で、解せない気持ちを胸に抱えていた。『言葉』とは不自由な物のはずじゃないのか?僕は絶望したのではないのか?

人と人が知り合う時、相手との共通項を探し、見つけたらそれを『言葉』に落とし込む。それを起点に相手と親密になって行く。僕らにとっての共通項はマイケルだろうか。だがそこから僕が話し下手を忘れて会話を出来たのは、もっと深い根源的な理由があったからだと思う。

僕らの共通項は、『言葉を持っている』ことと、『上手く話したい』という願望だったのではないだろうか。

『言葉』を使うことではなく、持っていること自体が僕と彼との共通項であり、そして、他人と関わりたい、上手く話したい、という僕らにとっては劣等感の噛んだ欲求も共通していたのだ。

思い起こすと、彼はクラスでも一人でいた時が多かった。同じように一人だった僕は、彼にとって親近感の湧く存在だったと思う。僕は上手く話せない、という理由だけで関わろうとしなかった。しかし、同じ『言葉』を使える、それだけで十分に親しくなれる要件を満たしていたのだ。

夏休みが終わると、オウェンは学校からいなくなっていた。父親の仕事が終わったそうだ。あれから三年経ち、僕は今では『言葉』は不自由な物だとは思っていない。上手く話したい、それは誰しもが少なからず持っている欲求である。だから『言葉』を持つ事さえやめなければ、どんな人とも語りあう事ができるはずである。

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◆平成26年度 稲葉真弓 懸賞論文 総評


今回は、八校から六一四名の応募を得、一次審査、二次審査を開催して選考した。テーマを捉えた内容になっているか、主観的な表現に偏ることなく、分析力、客観性に富んでいるか、普遍性があって読み手を感動させるか、さらに具体例は生徒にとって身近な、読みやすいものになっているか等の観点から、作品を絞り込んでいった。多くの作品が時間を有限のものとし、今を大切に生きていこうという内容のものであった。時計をみるとき、過ぎ去った時間の確認というよりは、これから先の時間を知るという行為に他ならない。そのように「時間」に対して前向き、意欲的な作品群に触れることができて、委員全員が高校生の「生きる」姿勢に感動し賛同した会であった。



◆平成26年度 懸賞論文 最優秀作・優秀作


<最優秀賞> 1点
 清林館高等学校 松本 歩純
<優秀賞> 3点
 津島東高等学校 谷川原 孝明
 津島東高等学校 濱島 朱里
 津島高等学校 岡田 蒔絵


最優秀賞・松本 歩純「時間がもつ「力」」選評
 人間を前進させる時間と、人間を忘却に誘(いざな)う時間というように、松本さんは時間を両義性をもつものと分析している。東日本大震災を題材に取っているが、震災発生当時の自己と現在の自己とを対比させつつ、現実を受け止める覚悟を固めきれなかった彼女が、被災地の人々とこれからの時間を共有していこうと決意に至る、成長の軌跡を見事にまとめあげている。


「時間がもつ「力」」清林館高等学校1年 松本 歩純
 「三年も経った」のか、「三年しか経っていない」のか。二〇一一年三月十一日、私の小学校の卒業式が間近に迫っていたころ、東日本大震災が起きた。家に帰って、いつも見ている夕方のドラマを見ようとしてテレビをつけたら、地震の報道ばかりだった。黒い津波が防波堤を乗り越えて人を、街を、押し流していく様子が映し出されており、あまりの凄まじさに圧倒され、被害の大きさを実感できないまま、テレビを見ていたことを今でも覚えている。
 その年の夏休みのこと、母親に「東北にボランティアに行こう」と言われた。がれきの片づけや、避難所での炊き出しなど、力になれそうなことはたくさんあった。しかし私は「行かない」と言った。「休み明けには定期試験があるから勉強に集中したい」と。それでも母は、何度も私を説得しようとした。「あなたはこれからの人生で何度か東北を訪れるかもしれないけれど、震災後の被災地は復興に向けてどんどん変わって行く。だから今行かないと、あなたが見て、感じて、受け止めなければならない現実を知らないままになってしまうよ。」それでも私は東北には行かなかった。本当は、自分の中で試験のことは言い訳だということは分かっていた。しかし、その時の私には、被災地の姿を見て、被災された方の話を聞いて、現実を知るという覚悟が、怖くてできなかったのだ。
 だが、そのあとすぐに後悔した。「どうしてあの時行かなかったのだろう。」そんな思いをもったまま中学校三年間を過ごした。そして昨年の二〇一四年三月八日、私は初めて東北を訪れた。震災から三年が経っていた。その三年を長いと捉えるのか、短いと捉えるのか。「もう過去に起こった大きな災害」と捉えるのか、「まだ復興の真っ只中にある現実」と捉えるのか。私は東北に行って三年という「時間」をいろいろな角度から見てきた。
 私が中学生になって卒業するまでの三年間で、被災地の様子は大きく変わった。私が訪れた石巻、南三陸、女川、気仙沼、大船渡、陸前高田などの津波被害が大きかった地域では、津波で流されてきた家や車や船のがれきは撤去されていた。見渡す限り、同じ日本とは思えないほど本当に何もないのだ。のっぺらぼうの地が続き、その平らな土地に新しいかさ上げ道路や、住宅の建設などが少しずつ進んでいた。被災直後に比べれば、確実に復興に向けて東北は歩んでいる事が分かる。しかし、その一方で三年も経ったのに未だ仮設住宅で暮らしている人が大勢いたり、原発事故の影響で遠くまで避難している人が大勢いたりする。私が石巻の仮設住宅にボランティアに行ったときに出会った、一人暮らしのおばあちゃんは、津波で家族を失ったそうだ。三年経って、少しずつ笑顔で過ごせるようになったと言っていた。その一方で、まだ震災前のようには元気になれないとも言っていた。
 被災した人たちにとってこの三年間はいったいどのようなものだったのだろう。被災地のがれきは撤去され、工事車両が行き来している。震災の爪痕がだんだんと目に見えなくなっている。昨日あったことのようにつらい体験を忘れられず、それを乗り越えようとしている人がいる。それでもまだ復興という言葉には程遠く、不自由を感じながら生活している人がいる。震災直後は毎日のように報道されていた被災地の様子も、最近は減っているように感じる。被災地から遠く離れた岐阜に住んでいるので、もう終わった他人事のように感じてしまう私がいるのも事実だ。三年前がとても昔に感じられる。だから私は十二月にもう一度東北に行った。三月からの九か月で変わったこともあれば、変わっていないこともあった。そこで改めて「時間」について考えてみた。
 「時間」とは、私たちを前に進ませるプラスの力でもあれば、月日が経てば忘れてしまうというマイナスの力でもあると思う。震災からの三年間は、同じ三年でも人によっていろいろな感じ方がある。まだ三年か、と感じたり、もう三年か、と感じたり。しかし、私が東北に行って感じた本当に大事なこととは、これからの時間を、いかに私たちと被災した人たちとの間で「共有」していくかということである。被災した人たちにとって震災はまだ「現在」のことなのに、被災者ではない人たちにとってはもう「過去」の出来事である、というように時間の共有が出来なくなっては、きっと復興は進んでいかない。また、私たちが被災地の時間を共有することとは、被災地の現在の様子を知るということだ。それを知ることで、自分たちが、直接の被害を受けていなくとも、自分の家族や子供、孫に震災の姿を伝えられる。長い時間を経ても震災があったということを後世に伝え、教訓にできるということである。それこそが、中学一年の夏、母が私に言った「あなたはこれからの人生で何度か東北を訪れるかもしれないけど、震災のあとの被災地は復興に向けてどんどん変わっていく。だから今行かないと、あなたが見て、感じて、受け止めなければならない現実を知らないままになってしまうよ。」という言葉の本質なのではないかと思う。  今年は震災から四年になる。少しずつ忘れ去られていく記憶もあるだろう。だからこそ、この先も私は忘れないために被災地の時間を共有していきたいと思うし、そのために何度も東北を訪れたいと思っている。そうすることで、すこしでも復興の力になれればと思う。時間がもつ「前に進ませる力」を私は信じているし、大事にしていきたい。


優秀賞・谷川原 孝明「体感速度」選評
 絶対的な時間と、人間が実際に体感する時間とを、谷川原さんは対比させている。個人に与えられた限りある時間を充実したものにするのは、自分自身の生きざまであるとし、前向きに時間と対峙する姿勢に好感が持てる。「だ・る・ま・さ・ん・が・ころんだ」から始まる表現力は出色である。


「体感速度」津島東高等学校2年 谷川原 孝明
 だ・る・ま・さ・ん・が・ころんだ。幼稚園児の僕は、息をひそめて両手両足の指の先までに全神経を集中させる。まばたきすらせずに全ての動作が静止した状態で、かすかな体の揺れが鬼に見つかりはしないかと、どくんどくん、心臓の音だけが体中に響いている。この時、僕の動作は完全に静止しているはずなのに、僕の静止状態とは何の関連性もなく時は止まることなく流れている。そして、三十分くらい前。原稿用紙を見つめながら、何をどう書いたらいいのだろうと考えだした瞬間から、僕の思考回路は停止した。もちろん、鉛筆を握りしめる僕の手も、原稿用紙の上で止まっている。僕の体の動作も脳内の思考も完全に静止しているはずなのに、カチ、カチ、カチと目の前の時計の秒針だけは、一定のリズムを奏でながら規則正しく動いている。僕の動きのすべてが停止しても、僕の時だけは止まることなく流れているのだから、時とは、摩訶不思議なものである。
 時の不思議を考えるときに一番に思い浮かぶのが、時の長さの体感速度だ。ここ数年、毎年年末になると僕の両親は、決まって同じ会話をする。
「あーあ、今年も、速かったね。」
「なんか、この年になると一年があっという間だよね。」
「年が明けたら、すぐに誕生日が来てまたひとつ年を取るね。」
どちらからともなく始まる我が家特有の年末の風物詩である。年齢を重ねるほどに一年は短く感じる。これは、僕の両親に限ったことではない。空き地ではじめの一歩に明け暮れた幼少の頃、校庭でドッジボールばかりをしていた小学生の頃、ハンドボールに夢中になった中学生の頃、そして今現在、僕自身の体感速度を考えてみても、幼いころよりはるかに今の方が時の流れを速く感じる。このように、年をとるにつれ時間が経つのが速いと感じる人は多い。そこで、なぜ大人になるにつれ時間は短くなるのか、一年の体感速度はなぜ年々速くなるのか、これについて少し調べてみた。「体感的な時間の長さは、年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」。フランスの哲学者、ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著書において紹介したジャネの法則というものがあった。科学的な証明ではないが、時間の経過を心理学的に説明している法則だ。たとえば、五十歳にとっての一年は、人生の五十分の一。かたや五歳にとっての一年は、人生の五分の一を占める。そう考えると五十歳代の十年は、五歳の一年に匹敵する。だから人生が長くなればなるほど、心理的に一年を速く感じるのだそうだ。このジャネの法則が全ての人に当てはまるとは断定できないが、一定の速度で流れる時の体感速度が個々によって違って感じられるのは心理的要因に起因するのは確かなようだ。  では、時の流れの体感速度を考えるとき、その差異が生じるのは年齢によるものだけなのだろうか。いや違う。様々なシチュエーションによっても、その速さは変わってくる。例えば、月曜日。週の前半は金曜日までをとてつもなく長く感じる。しかし、水曜日から日曜日にかけては、同じ五日間にも関わらずとても短く感じる。その体感速度は、土曜、日曜日には更に加速がかかりあっという間に月曜日が訪れる。こんな経験は、誰にでもあるのではないだろうか。僕の場合は、一時間五十分の授業時間もそのひとつだ。退屈な授業時間は時計ばかりを眺めては、まだ五分しか過ぎていない、後三十分もあると、時間が過ぎないことが苦痛にすら感じられてくる。しかし、同じ五十分のはずなのにテストの最中の授業時間は異様に短い。特に、問題が解けずに焦っている時は、やはり更なる加速がかかってくる。そして、僕の体感速度に最も差異が生じるのは、部活動でのハンドボールの公式戦だ。僅差で勝っている時のラスト十分はとても長く感じられる。相手チームに得点を奪われないように逃げ続けるラスト一分に至っては途方もなく長い。しかし、その逆で、逆転に挑み続けるラスト十分は瞬く間に時が過ぎてゆく。きっちり十分あったはずなのに時間が足りなくすら感じられる。そして、幸運にも逆転し試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間には、止まるはずのない時が一瞬止まってしまったかのような錯覚すら覚えるから、やはり時とは摩訶不思議なものである。  一年は、三百六十五日と四年に一回のプラス一日。一日は、二十四時間。時間とは、本来規則正しく決して狂うことのない絶対的なものだ。しかし、その体感速度は、年齢やシチュエーションや個人個人の心理状態で、速くもなり遅くもなりうる。過去から現在、そして未来へと経過していく時の時間軸は、永遠に続く。しかし、一人一人の時の流れには必ず終わりが訪れる。僕たちに与えられた時間には限りがあり、その尺度を決めるのは自分自身の生きざまだ。たとえば、同じ五十年を生きた人がいたとする。ある人は、人生長かったと言い、ある人は、あっという間の五十年だったと言う。生きた時間の絶対値は同じはずなのに、明らかに流れるスピードは違うのだ。僕が人生を終えるとき、長かったと思うのか短かったと思うのかわからない。ただ、今はっきりと言えることは、与えられた時間に限りがあるならば、一分、一秒をも大切にして毎日を充実して過ごしたいということだ。その結果、人生があっという間に終わってしまっても構わない。生きた時間の長さより、その時々をどう生きたのかの生きざまに、生きる価値があるのだから。


優秀賞・濱島 朱里「時間には厳格に 相対化の試み」選評
 濱島さんの文章は、問題提起から結論に至るまで、典型的な小論文の構成を取っている。「時間には厳格であるべきだ」という一般論に別角度から切り込んでいる点には、独創性を感じる。福知山線脱線事故に題材をとったことにより、高校生としての日常のレベルにとどまらない社会性・普遍性を確保している。


「時間には厳格に 相対化の試み」津島東高等学校2年 濱島 朱里
 私たちの住んでいる国、日本は時間に厳格であるといわれている。地域や個人によって時間に対する感覚は異なるが、他国と比べるとやはり日本は時間に厳格であるといえるだろう。一説には日本人の気質や国民性からだと言われているが、はたしてこれは絶対的に良いことだと言えるだろうか。考察してみたい。
 確かに、時間を守るということは日本人の一般的な常識である。時間にルーズな人は何事においてもルーズな人だと思われ、他人からの評価を落とすことにもつながる。しかし私は、時間に縛られ過ぎることも良くないと考える。なぜなら、何もかもが時間に縛られている現在の状態では、本来の目的を見失うおそれがあるからだ。
 数年前にJR西日本で起きた福知山線脱線事故をご存知だろうか。この事故は、急カーブにおけるスピードの出しすぎが原因で起きたものであった。事故の要因とされるものは様々あったが、そのうちの一つに運転手がダイヤの遅れを取り戻すために焦っていたことがあげられる。なぜ運転手がそんなにも焦っていたのかというと、当時JR西日本では数分遅れただけでも日勤教育という名のパワーハラスメントやモラルハラスメントが行われていたからだ。この運転手は以前にもこの懲罰を受けており、もう二度と受けたくないという気持ちがさらに焦りを加速させた。確かに時間通りに、ダイヤ通りに運行されることは利用者にとって非常にありがたいことである。しかし、電車やバスなどの運転手は人の命を預かっているのだから乗客の安全を一番に考えるべきではないだろうか。福知山線脱線事故で、運転手は懲罰を免れるために、安全に運転することよりも時間通りに運転することを優先した。運転手の懲罰を受けたくないという気持ちも理解できる。遅れを出さないために教育をするのも、一概に悪いことだと言いきることはできない。この事故で誰が、何が悪かったかを特定することはできないが、もし日本が、日本人の考え方が、そこまで時間に縛られていなかったらどうなっていただろうか。多少の遅れを許すことができる心のゆとりがあったなら、運転手は日勤教育に怯えることもなかったであろうし、ダイヤの遅れに焦って規定の速度を無視することもなかっただろう。もしこうだったらというのを嘆いてもどうしようもないが、時間を守ろうとするがゆえに安全に乗客を運ぶという本来の目的を見失っていては本末転倒だ。このように、時間には厳格であるべきだという強迫観念の故に、本来の目的を見失ってしまうことは、私たちの周りでもたびたび起こりうる。わかりやすい例でいえば、提出期限の決められている書類などがあげられる。特に期限が迫っているものであったり、自分の手に負えないものであったりすればなおさらだ。もちろん期限内に内容のしっかりしたものを提出できるのが一番良いことであるが、時には理不尽な要求をされることもある。そんな時とりあえず提出するということに気を取られ、最も重視すべき内容が希薄になってしまいがちだ。たとえ提出できたとしても全く身になっていなかったら、それこそかけた時間が無駄になってしまいかねない。こういった経験をしたことがある人は少なくないだろう。このように、私たちは普段から時間を気にしすぎるあまりに、本当に大切なことを見逃してしまうことも少なからずあるものと考える。  私が過剰な時間の厳格さを疑問視するのにはもう一つ理由がある。それは、時間に縛られることで個人の事情が無視されることがあることだ。自分の願望があるならば、それに対して時間を投資することは当然必要になってくる。けれども多くの人が社会に流され、自分の望みに対して時間を使うことが後回しになりがちである。相手に物を頼まれたとき、断るに断れず自分のことよりもそちらを優先してしまったなどという経験はないだろうか。これが気の知れた者同士の間でなら、気安く断ることができるかもしれない。しかし仕事であったらどうだろうか。日本では始業時間に厳しいが、終了時間には非常にルーズである。サービス残業があたり前のように思われていることもある。断れない雰囲気もあるのは確かだが、自分が何よりも優先すべきことが世間では重要視されないという矛盾が生じ、そこに自己犠牲が生まれることもしばしばである。これは育児などにもいえることだ。母親が自分を犠牲にしてでも家族に尽くし、子どものことを中心に考えてばかりでは自分の幸福感を満たすことはできなくなる。確かに自分ではない他者のために時間を使うことは悪いことではない。むしろ美徳といえるだろう。だが、それがストレスになってしまうのではやはり意味がない。自分の時間をつくるためにいい意味でもう少しわがままになってもよいのではないだろうか。  このように、私たちは時間に対して過剰なまでに厳格であるがゆえに本当に大切なことを見失ってしまうことがある。それは大切な人の命であったり、自分の中に培われる貴重な経験であったり。失ってから気づいたのではもう遅いこともあるのだ。だからこそこれからは物事の本質を見失わないために、厳格な時間感覚を持ちながらも、もう少し時間についておおらかな考え方を持つべきだと私は考える。


優秀賞・岡田 蒔絵「時間について」選評
 プラスの側面とマイナスの側面という両義的な性格を時間はもっていると、岡田さんは分析する。同じく平等に与えられている時間の中で、現実から目をそらすことなくきちんと向き合うことで、また、有限の時間の中で他者との関わりを大切にすることで、プラスの時間が生まれるのだという思考に、積極性を認めることができる。


「時間について」津島高等学校1年 岡田 蒔絵
 時間、それは変化を与えてくれるものだ。もちろん、時間の流れを目で見ることはできない。断片的には一瞬である。しかし、とどまることなく流れるこの時間によって私たちは多くのことを積み重ねてきた。過去、現在、未来と切れ目なくつながるその時間に、思い出を刻むと同時に私たちには成長という変化が訪れる。変化はなにも成長のみとは限らない。何気なく過ごす日常の中にも、誰も気が付かないような細部あるいは、あまりにも身近で気が付かないようなところにでも、変化は起きているかもしれない。
 時間が私たちに与えるものの例として、成長の過程で養われる知力や体力、気力などの自分自身の力があげられる。私たちは充実した時間を過ごすため、そして自身の力を高め達成感を味わうために、目標を定める。それに向かって努力することで、自分の可能性を感じ、またそこから努力することへのやる気が生まれる。初めはうまくいかず、壁に突き当たることもあるだろう。しかし、諦めず繰り返すことに意味があるのではないだろうか。
 失敗することも一つの経験だ。失敗は成功のもと、という言葉にもあるようになぜ失敗してしまったのか、原因を追求し欠点を補って改善することによって見えてくる道があるはずだ。
 時間をただ浪費するのではなく、短時間であっても集中できる時間を作ること、互いに良い刺激を与えられる友人と過ごすこと、そして何よりも恐れることなく果敢に挑戦することが質の高い時間へと繋がり、それを求めて励むことが大切だと考える。困難に見舞われることもあるが人生は山あり谷ありだ。「今」という時間と共に前を向いて進んでいくことが新たな道を切り開くかぎとなり、その道を踏みしめ進んだ先には目標達成というゴールが待っているはずだ。今こうして私が高校へ通い学ぶことも、友達と共に笑いあっていられるのも、中学生の頃に持っていた志望校合格という目標を達成し一つの結果を得たうえで、次の夢を実現させるための道を歩んでいく過程にあるのだ。自分の意志を持って進んで行く道には終わりなどない。どんな局地に立たされたとしても、自分の命がある限りは一つの道が続いていると思うからだ。
 成功という生きる価値を見出すことに没頭するばかりではなく、時には本来の道を見つめ直し自分にとっての本当の価値を考えることが、自分自身を磨き、自分自身の力を高めることに繋がるのではないだろうか。
 時間は、私たちに良い変化を与えてくれるがそればかりではない。時間が起こす変化によっては、私たちが失うものもある。時間とは、無限かつ雄大なものでありながら、私たちにとっては限られた中の希少な財産にすぎない。人間には寿命があり、定められた運命と共に死と隣り合わせで生きている。今、世界中の人がこの同じ時間を過ごすなかで、この瞬間に生命が尽き人生の最期を迎えた人もいることだろう。身近な人のみに限らずとも、時間は大切な存在との別れを与え、時には生命をも奪い私たちに悲しみを与えるものの一つなのだ。
 しかし、辛く苦しいその別れという現実に私たちは目を逸らしてはならない。前へとしか進んで行かない時間の流れに逆らって、過去を惜しむばかりでは何も得るものはないからだ。現実を受け入れることは容易ではないが、それについて理解しきちんと向き合うことで、私たちは成長することができるのではないだろうか。
 時間によって失われるものは計り知れない。しかし、私たちが生きているということは、失ったものを新しく取り戻す時間があるということでもある。たとえ、失ったものが大きくて心に穴があいたとしても、小さな幸せを積み重ねることによってその穴を埋めることもできると思う。私たちは出会いと同時に別れを経験するが、人との関わりを通して多くのものを得ることで、さらに大きな存在へと成長していくのである。
 また時間について、私は自然と問題を解決してくれるものだとも思うが、そうではないと思う人もいるかもしれない。しかし、実際に起きた阪神淡路大震災が兵庫や大阪に及ぼした甚大な影響は、二十年という歳月を経て跡かたもなく消えたように思える。こうして、現在の姿を取り戻すことができたのは、長い間復興に協力し続けた人々のおかげである。このように考えると、震災が起こした問題は人の手で自ら解決したと言っても過言ではないだろう。それ故、時間によって問題が解決されると言い難い面もあるが、私は長い年月を経たからこその結果だと考える。被災者は明日という日を信じることで復興することへの兆しを感じ、支援者も時間と共に前を向くことでその願いに応えることができたのではないだろうか。時間という一様の流れが私たちを一つに繋ぎ、心の支えとなって希望を与えてくれたのだと思う。
 胸を痛めるような辛い体験は、私たちに時間の流れを繊細に感じさせ、改めて時間が意味のあるものだと教えてくれる。そして、時間が流れるというあたりまえのことが、私たちを落ち着かせ、心の安定をもたらすのだ。このように、時間は私たちに間接的に作用し光のごとく進むべき道を導くことによって、自然と問題が解決するのだと考える。
 これらのことは、時間という一つのくくりの中で共に過ごす私たちの成長を切実に物語っているように感じられる。どのような変化も時間が与えたと同時に、自分自身の意志が選択し与えたもので、人生という道に影響を及ぼす。したがって、人それぞれの道があるということは誰もが平等に与えられている時間にも、私たち自身の使い方があるのだということである。皆平等に与えられている時間ではあるが、私たちがこの日々を平和に、そして切磋琢磨して過ごせることは幸せなことなのだ。この恵まれた世の中の下、人生を歩むことができること、自分の望んだ夢をかなえるチャンスがあることに感謝したい。そうすることで、より良い未来へと続く道が切り開けるのではないだろうか。
 しかし、美徳を貫き完璧を求めることばかりがすばらしい人生に繋がるとは限らない。時には、余裕を持つことで自分に訪れる変化と触れ合い、時間の流れを肌で感じることで人生の価値を推しはかることも大切だと思う。

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◆平成25年度 稲葉真弓 懸賞論文 総評


論文(友情)総評
 今回は全体的にややインパクトに欠けるなぁというのがまず第一印象でした。 「友情」は日常的に私たちの傍らにあるものです。近くにあるものだからこそ、よけいに書きにくかったのかもしれません 考えてみたら、夏目漱石の「こころ」や太宰治の「走れメロス」も「友情」がテーマ。いつの時代も変わらない大きなテーマでもあるのです。 なかには、自分の体験談を書きたくても、相手のプライバシーを考慮してしまったというケースもあったかもしれませんね。「友人」との関係が即「友情」に繋がるわけでもない。 その微妙な距離感を捕まえることの難しさが、どの作にもにじんでいました。
 そんな難しいテーマに挑戦してくれたみなさん、ありがとう。書くことは自分自身の発見でもあります。このテーマを通じて、皆さんの中に大なり小なり、「友情」ってなに?という問いに対する答えがみつかったならばうれしいです。



◆平成25年度 懸賞論文 入賞者氏名


◇テーマ :『友情』
◇応募総数 :325点
   津島北高等学校 2点 / 稲沢高等学校 2点/津島高等学校 321点
◇入賞作 :13点 
<最優秀賞> 1点
 津島高等学校 中島あさ美
<優秀賞> 2点
 津島北高等学校 岩田佳大
 津島高等学校 加藤有香里
<佳作> 9点
 稲沢高等学校 板津美海
 津島高等学校 山内しおり / 竹田彩香 / 土本真由 / 木村友紀 / 東原莉子 /
        渋谷駿吾 /倉見萌々花 / 杉田智枝
<特別賞> 1点
 津島高等学校 佐藤千玖紗


今回のテーマ『友情』について
私達が高校生時代には 同期で 笑ったり、泣いたり、怒ったり、または喧嘩をしたり、喧嘩をした相手と仲良くなったり…。
イジメをしたとしても、次の瞬間には一緒に遊んでいる…。そんな高校生活でした。
昨今 携帯電話・スマートフォン・パソコンの普及により メール等の会話だけになって 若い時代を生きていく高校生は本心でぶつかっていってるだろうか?
友人・友情・仲間を どの様に考えているだろうか?
と思い 今の時代を生きていく高校生に 『友情』を考え見つめてもらいたく36回生からの題材を『友情』とさせて頂きました。


最優秀賞・中島あさ美「伝えること」選評 稲葉 真弓
正直今回は、最優秀賞と優秀賞を決めるため、優劣をつけるのがとても難しかった。ほぼ同じ力量といっていい作品の中で、中島さんのものが最優秀賞に選ばれたのは、中島さんの考える「友情」には、相手に伝えたいという強い思いがあって、その思いがあるかどうかこそが「友情」と「ただの友達関係」を分けるのではないかという点が素直に納得された点にありました。また、「友情」を伝えるには言葉がいかに大切なものであるか、「伝えること」の第一歩に触れているところもいいですね。何気ない一言から伝わるものをこの先どんなふうに受け止めて生きていくのか。そしてどんな形で友人に何気ない一言を伝えていくか。美しい「友情」の長く続くこと、日々新たに生まれる関係を、揺るぎない「友情」にむすびつける生き方ができる人になってほしいと強く思いました。


「伝えること」 津島高校1年 中島 あさ美
 わたしにとって何よりも大切なたくさんの友達。それぞれ個性的で、わたしの希望や勇気の源で、時には悩みの種にもなる。わたしが今までの人生を通して感じていること、それは伝えることの大切さである。
 わたしが中学生のとき、突然仲が良かった友達が学校に来なくなってしまった。それはいわゆる不登校という状態で、特に原因がわからなかったわたしは、とにかく混乱した。小学校の頃からずっと仲が良かったし、部活も遊びも、たくさんの時間を彼女とともに過ごしてきた。どんな時でも笑顔でいつもわたしをはげましてくれた子だった。まさかこんな状態になるなんて、思ってもみなかった。
 しばらくの間は、この状況を認めたくないというのと、まだ信じられないということもあり何もできなかった。ちゃんと会って話してみなければわからないと思い、彼女の家に行った。すると母親が出てきて、今は会えないということを告げられた。その時自分の無力さを痛感した。会ってくれなかったというショックは大きかったが、大切な友達を失いたくないと思った。それからははげましのメールを送ったり、彼女の母親に「いつでも待っている」ということを伝えてもらったりと、間接的にできるだけのことをした。
 そうしているうちに、ある日彼女から電話がかかってきた。久しぶりに話すことができた。意外にも以前と変わらない口調に安心した。その後、直接会って話すことができ、その時に彼女は、支えてくれる友達がいて幸せだと思ったし、学校にも行く、ということを泣きながら話してくれた。わたしも感謝の気持ちと、ずっと友達でいたいということを伝えることができ、彼女との間に強い友情を感じた。
 身近にいる人ほど、普段その大切さに気づくことはむずかしいものである。わたしには以前家にホームステイに来た、マレーシア人の友達がいる。彼女と過ごした時間はとても短かったが、マレーシアに帰ってからも、手紙のやりとりなどで今でもつながりがある。手作りの小物を送ってくれたりして、遠く離れている所に住んでいても心はまだつながっていると感じる。遠くにいても近くにいても、友達であることには変わりないのだ。友情は伝えることができれば、存在する。
 不登校から立ち直った友達とは、今は高校がはなれてしまい、なかなか会うことができない。マレーシア人の友達とも、もしかしたらもう会うことはないかもしれない。だけどわたしはこの二人の友達を絶対に忘れないし、忘れたくない。二人との友情は不安な時や、心細い時、勇気をあたえてくれる。わたしも二人にとってそんな存在だったらうれしい。勇気や希望をくれる友情は、わたしに絶対必要なものだ。
 ある時わたしはこんな話を聞いた。人間の赤ちゃんを二つのグループに分け、一方は話しかけながら、ミルクと排泄などの世話をして育てる。もう片方は言葉をかけず他は同じ世話をして育てる。言語習得能力においての実験だったというが、言葉をかけずに育てた赤ちゃんのグループは、しばらくして死んでしまったというのだ。やはり人間は愛が感じられないと生きられない生物なのだと思う。また言葉という存在の大きさがわかる。言葉の意味がよくわからない赤ちゃんでさえ、大きな影響を受けるのだから、言葉の意味がわかるわたしたちはもっと言葉に影響を受けるだろう。友達に対する励ましは一言だけでも状況を変化させることができる。まず、伝えていく、ということが大切なのだと思う。わたし自身、友達からの何気ない一言ですごく落ちこんだり、跳びはねるほど喜んだりする。辛いときに温かい言葉をかけてもらえると、友情という愛を感じる。きっと自分が思っている以上に、自分の言葉は人に影響をあたえているのだ。
 わたしは自分のことを、すごく弱い人間だと思う。うまくいかないと、すぐにすべてがダメに思えてしまう性格は、幼い頃から変わらずにいる。でも、友達からの励ましを受けたわたしは少し強い自分になれる。少し強い自分になると、別の悩んでいる友達をわたしが励ますことができる。友情は連鎖していく。一人を励ますことは結果的にたくさんの人を励ますことになるかもしれないのだ。この素敵な連鎖が今わたしのまわりでは起こっている。周りに励まし励まされ、支え合える仲間がいることはほんとうにありがたいことだと思う。今までの友達との思い出が全部幸せな思い出かといったら、そうではない。しかし辛い思い出の後に必ず手をさしのべてくれた友達がいた。そう考えると、今までの経験はすべてが無駄ではないと感じた。
 わたしは今、強い友情で結ばれている友達がいる。そのおかげで自分に少し自信をもつことができ、勉強や部活をがんばることができている。わたしはよく「頑張り屋さん」と言われる。でもそれは友情という支えがあるから頑張れるので、友達のおかげだ。わたしも友達にとってそんな存在でありたい。


優秀賞・岩田佳大「友情」選評 稲葉 真弓
これまで様々な場面で「友情」に助けられた経験から、自分以外の他人が自分のことを思い行動してくれることの幸せ……家族の愛とどこか「友情」は似ているが、同じ目線から意見を言ってくれたり助けてくれるのは友達。本当の「友情」はこんなところにあるのではないかと岩田君は言います。さらに岩田君は「友情」についていろいろな角度から考えを深め、こんな結論を引き出しています。つまり「友情」とは、互いの価値や存在を認め合い相手のためにできることを尽くすこと。また当たり前のように思っていた「友情」が日々、自分を成長させてくれていたことの発見。この発見は、いずれ、岩田君を支える力になることでしょう。ぜひ、「これが僕の財産です」といえる「友情」を育てていってほしいと思いました。


「友情」 津島北高校2年 岩田 佳大
 "友情"この言葉を私たちは普段の生活の中で当たり前に使っている。特に深く意味を考えたことも、考えようとも思ったことがないだろう。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校と、今まで経験してきた様々な集団生活で、私たちは"友情"というものを形成してきた。
 では、"友情"とは何なのだろう。"友情"は私たちにどんな影響を及ぼすのだろう。私は、現在高校二年生である。学校の中心としての役割を担う他に、クラスや委員会、部活動などそれぞれの集団でそれぞれの仲間と関わりを持っている。考えてみると色々な面で"友情"というものに支えられてきたと思う。例えばクラスでは、筆記用具を忘れた時貸してくれる友達、困った時に相談にのってくれる友達。委員会では、一緒に議論してよりよくなるよう意見してくれる友達。部活動では、信頼し協力して同じ目標に向かう友達。それぞれは、本当に些細なことかもしれない。当たり前のことに思うかもしれない。しかし、実はそれは些細なことでも当たり前のことでもない。自分以外の他人が自分のことを想い考え行動してくれる、それは何よりも幸せなことではないのか。私たちはその"友情"というものが身近すぎてその大切さに気づいていないのだと思う。時に励まされ、注意され、勇気づけられ、良いことも悪いことも全部が"友情"なのである。しかし、ここまでの"友情"は私たちが家族から受けている支えと同じである。
 では、"友情"と家族からの支えの違いはどこにあるのか。私は一つだけ違いを見つけた。それは、同じ目線で意見してくれているということだ。確かに家族も自分のことを考えて愛情を注いでくれるし、意見したり相談にのったりしてくれる。しかし、それはあくまで、人生の先輩としての立場からである。経験豊富な人々から学ぶことは多い。けれどもそれは"友情"ではなく"愛"であると思う。勉強や部活、行事に進路、毎日の生活の中でも多くを悩み、選択を迫られるこの年ごろ。同じ目線で同じ悩みを抱えている友人の存在は、大きいと思う。今まで友達を支えるのが当たり前、支えられるのが当たり前、そんな当たり前の中で"友情"というかけがえのない大きな力を見失いつつあったのだ。"友情"を考えていくにつれて、"友情"とは互いの価値や存在を認め合い、相手の為にできることを尽くすことだと思った。そして人は、"友情"なしでは生きてゆけない程"友情"に依存しているのだとも感じた。だからこそ、私たちは"友情"について深く理解し、友達に感謝を忘れず、友達という存在を大切にしていかなければならないと思う。
 思えば私が小学生の頃、その日当番だった仕事をやり忘れて学校に残らなければならなかった時、黙って手伝ってくれた友達がいた。中学生の時、部活動の部長としてチームを上手くまとめられず、自分ばかりを責めていた時でさえ、手をさしのべてくれる友達がいた。そして今、小学生、中学生時代とは違い高校生は自由度も増した分、責任も増した。進路や就職という今までにはなかった新たな問題もでてきた。当然のように悩みや不安も増えた。今ではないだろうか。今こそ"友情"という言葉の意味をもう一度考え直し、その重要性を見つめなおすべきであろう。様々な問題を抱え、友達に支えられる機会が最も多い今だからこそ自分をみつめ、相手をみつめ、更にその間にある"友情"をみつめ理解する必要があると思う。
 友情というのは、良いことばかりでもないし、悪いことばかりでもない。ただ一つ言えるのは、そのすべてが相手を想ってのことであるということだ。時には"友情"を"友情"だとも思えずに、いらいらしたり素直に受け止めることができなかったりすることもあると思う。そんな時は、冷静に考え相手が自分を想って言ってくれたことであることを忘れないでほしい。私は、今年の四月で高校三年生になる。大学に進学する人は受験生になり、就職する人は就活をすることになり、この時期は二つの道が明確に分かれる。しかし、どちらの道であっても、人生においての重要な分岐点になるに違いない。それゆえこ時期に形成された"友情"は、一生自分の財産としてこれからの未来の糧となり、自分自身を成長させてくれると思う。
 したがって"友情"というのは私が今まで何気なく考えていたよりももっと深いものであると思った。そして"友情"なしでは生きてゆけないし、人生において"友情"に支えられている部分が非常に多いことに気づくことができた。今回の経験を生かして、当たり前のことを当たり前だと思わず、常に自分の周りの人々への感謝の気持ちを忘れないように心がけようと思う。今は、"友情"に助けられたり支えられたりするばかりだが、将来、"友情"で人の役に立ったり、感謝されるような人間になりたいと思う。


優秀賞・加藤有香里「現代社会における友情」 選評 稲葉 真弓
「友情」の持つ温かみと、その対極にあるいじめ問題から「友達」と「友情」の違いについて考えてみようとした作品。とてもよく書けていたと思います。ことに現代社会においていまやなくてはならないインターネットについて、「ここに友情はあるのだろうか」と問題提起しているところがいい。「友情」とは相手の顔があって初めて生まれるもの。同じ目標に向かいながら苦しみを乗り越え、なにかを達成できたときともに喜び合える関係こそが「友情」と加藤さんは考えます。同時に「友情」はときにガラスのように割れやすくもろいものだということにも触れています。一方通行では成り立たない「友情」の複雑さ、難しさを改めて教えてくれた作品でした。


「現代社会における友情」 津島高校1年 加藤 有香里
二〇一二年、全国の小中高校などが把握したいじめの件数が、約二十万件に達した、と文部科学省が発表した。これは過去最多であり、把握されていないものも合わせると、もっと多いと予想される。
 昔から今日まで、相変わらずなくならないのがいじめである。典型的なのが、ターゲットとなる人物を犠牲にしての集団生活である。いじめる側同士のつながりは深まるだろうが、そこには真の友情、つまり互いを思いあう温かみはない。ではもし、世界中の人間の中で、誰一人互いの友情を強めようとする者がいなかったらどうなのだろうか。世界中の人間が、皆孤独だったとしたら、いじめというものは生まれるのだろうか。きっと生まれないだろう。ならば、人類は一生、誰とも関わることなく、孤独に生きていけばよいのではないか、という見方もある。だが、そんなことは無理だろう。そうした生活をしていくことは、いじめられることよりもさらに残酷なことではないだろうか。つまり、私たち人間は、一生孤独に生きることは無理なことであり、よりよいつながりを見つけ出すことが、友情を育む第一歩になるのではないか。
 ところで、私たちは当たり前のように友達というが、果たしてそこに友情が存在するのだろうか。そもそも、友情とはどんなものなのだろうか。
 現代社会において、インターネットなどは私たちにとって、なくてはならないものになっている。最近では、スマートフォン利用者も増加しており、ネット依存が問題になる程である。こうしてネットワークを通じて、私たちは実際に会ったこともない人とも気軽に友達になることができてしまう。だから現代では、友達と呼べる人は、随分多いにちがいない。ただ、これらの友達との間に、友情は存在しているのかと言われると、それは疑問である。相手の顔も見えない人との会話や、画面上の文字だけに振り回されている人との間には、友情というものは育まれないと私は考える。
 では、友情というものは、どのようにして育まれていくものなのだろうか。
 例えば、部活動は友情を育むことのできる一つの場といえるだろう。同じ目標に向かいながら、日々の努力や苦しい練習を繰り返し重ね、その目標を達成したときに、共に喜びを味わう。また、二〇一三年に大ヒットした「半沢直樹」というドラマの中にも、友情が感じられた。主人公である半沢は、同期の友人である近藤に裏切られる。だが半沢は、近藤がそうせざるを得なかったことまで理解していたのだ。半沢は近藤を責めることなく、「お前の気持ちも分かる。頑張れ。」と、応援すらしたのであった。そして最終的には、二人は再び協力しあえる仲間に戻ったのである。このドラマからは、仕事上のつき合い以上の友情を感じられた。
 友情というものは、性別、年齢、さらには国籍を超えて存在する。その例として挙げられるのが、二〇一一年三月十一日に起きた、東日本大震災後に行われた、数々の取り組みである。震災直後からしばらくは、被災者とボランティアという関係であった。これは言ってみれば、ボランティア側から被災者への、一方通行の思いが強いのではないだろうか。だが、約二年半の歳月の中で、その関係は形を変えて続いているものもある。少しずつ余裕が生まれてきた被災者たちから、ボランティアの人たちへ、受けた恩を返そうとする思いが生まれた。それは両者の関係が、一方通行から双方向へと変化したといえる。この関係の間には、絆が存在している。この絆は友情とも言い換えられるだろう。
 つまり、友情は一方通行では成り立たない。互いに相手を思う気持ちが生まれ、それを時間をかけて育んでいくという、双方向の関係であると言える。そして、気をつけなければならないのは、友情とはガラスのようなものであるという点である。どんなに固い友情で結ばれていたとしても、一度大きく砕けてしまえば、完全に修復できないということである。それだから、亀裂が小さいうちにそれを見つけ、その都度繕っていくことが、長く友情を保っていける方法だと言えるのではないか。これには相当の努力が必要とされるだろう。つまり友情は、ただ何となくそこに存在するのではなく、こうした互いの心がけ次第で距離を縮めたり、関係を深めたりできるものである。
 現代は、スマートフォンの普及により、相手との距離感が取りにくくなっている。ネットの中でのコミュニケーションは、手軽である反面、相手の真意が分からない。したがって、自分もどの程度ふみ込んでいけばよいのかが、分かりづらい。つまり距離感をつかめないままの交流が続くことになる。
 こうしたことを考えると、友情には、相手と時間と場を共有することが必要である。顔と心を向き合わせることにより生じる空気感がある。これを大切にすることが、友情には必要不可欠と言えるのではないだろうか。


◆稲葉真弓文学賞 最優秀賞受賞
 津島高等学校 中島あさ美

9月28日総会での授賞式でのお礼の言葉


 今日、稲葉真弓文学賞をいただいた中島あさ美です。テレビ、新聞、ラジオとたくさんの場面で取り上げていただき、本当にうれしい限りです。そう思っていたのもつかの間、先日稲葉真弓さんがお亡くなりになりました。津島高校の先輩であり、私達に活躍の場を与えてくださった方なので、本当に悲しいです。
 今回の論文のテーマ「友情」で、自分の思いを文章にしたことで、あらためて友達の大切さに気づくことができました。この機会を作ってくださった稲葉さん、三稜会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

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◆平成24年度 稲葉真弓 懸賞論文 総評

( 平成25年9月29日 三稜会総会での 懸賞論文入賞者表彰式に稲葉さんから寄せられた 「 高評 」 )


論文(家族)総評
 たくさんの応募・参加ありがとうございました。  今回のテーマは「家族」。「家族」とは何だろう。生活のなかにあまりにも溶け込んでいるため、改めて考えることの少ないテーマです。日々顔を合わせる母や父や兄や姉。あるいは妹弟などが小さな共同体を形作っている。
 この世界最小の共同体が、どんなに大きな精神的存在であるか、みなさんの論文は考えようとしています。最優秀賞の布田さんの作品はお母さんの存在が光っていますが、その後押しに応えて「自分で生きる方法」を見いだそうとしています。「家族」が生きる力をもたらしてくれることを伝えようとした一編でした。
 優秀賞の平井さんの作品は自分の大切な「基地」として「家族」をとらえています。生きる足場としての「家族」。一緒に過ごすことの大切さや、家族の間にも「節度」が必要なことなど、教えられることの多い秀作でした。
 同じく優秀賞の後藤さんの作品「ちいばあちゃん」も認知症の祖母を通じて、濃密な触れ合いが壊れていく過程を描いていました。「家族」を支えるのは一緒に暮らす「家族」であることに後藤さんは気付いたのですね。
 今回は、東北の大地震を通じて家族を考えようとした作品が多くありました。何気なくいつも一緒にいる「家族」が、ふいにいなくなってしまう悲しみを思いやる作品の多くに、皆さんの豊かな感受性を見たように思います。
 次回のこの賞は、「稲葉真弓文学賞」として生まれ変わりますが、ささやかな論文であれ、「自分で考える力」と「それを表現する力」を培うお手伝いができればこんなにうれしいことはありません。
 次回も多くの方の参加をお待ちしています。


◆平成24年度 懸賞論文 入賞者氏名


◇テーマ『家族』
◇応募総数398点 
◇入賞作15点

<最優秀作>1点
 清林館高等学校2年布田章乃 
<優秀作>2点
 津島高校3年平井菜々美1年後藤由樹
<佳作>12点
 津島高校3年大橋涼古谷瀬菜脇田綾子服部愛 
 1年加藤茜伊藤咲季吉川萌香内藤可南子
 石原涼子八木萌百佳加藤萌衣
 佐織工業高校1年小久保茉美


◆最優秀作・優秀作・選評


最優秀作 「 家 族 」 清林館高等学校 2年 布田 章乃
家族とは、安らぎであり、かけがえのない存在だとよく言われますが、私は、家族とは自分そのものであると思っています。
 私の家族は、母と私、妹と弟の四人家族です。母は一年中休みなく働き、化粧をする事もなく、いつも同じ服です。家は古い公団で、台所兼居間で、家族四人ギュウギュウになりながら過ごすのは、本当に幸せな時間で、私の大好きな場所だけれど、まわりの友達の家庭と比べれば、やはり何か差があるような気がして、少しコンプレックスを感じていました。
 高校一年生の秋、中学の頃から憧れていた海外留学の話を、母に言い出せずにいました。家族にとって大きな負担になるとわかっていたし、どれほど憧れても、私には無縁の世界で、現実にはなり得ないと思い、諦めていたからです。けれど、母は、その事を担任の先生から聞き、私に留学をすすめたのです。あまりにも意外すぎて、経済的な面での心配しか思いつかない私に、母はまるで違う話をしました。自分を助けるのは、自分しかない。これからする努力や苦労、全ての経験が、いつかあなたを助けてくれる。そして、それは、結果的に母を安心させる事になり、また同時に、妹弟を勇気づけ、伸ばす事につながるというのです。家族を大切に思うなら、まずは、自分を大切に生きてほしいと言われました。私の夢は、家族の夢になり、私の悔いは、母の悔いになる。「あなたは私なんだよ」と言う母の言葉に大きな衝撃を受けました。頭をガンと殴られたような、ギュッと抱きしめられたような、何か大きなドアが、目の前で、パァッと開いたような…。私は一人で生きているのではないのだと深く感じた瞬間でした。
 その後、私は一年間、カナダの高校に留学しました。絶対にムダにはできないという強い気持ちを常に意識して行動しましたが、実際は、何をやっているんだかわからない時間をたくさんすごしました。全てが英語で行われる授業に慣れないのはもちろん、日常的な事すら何もできない。そして、各国から集まってきている留学生達の発音の良さや、自己主張の強さに気後れして、言葉が出ない。無駄に時間を過ごしているのではないかという焦りとコンプレックスばかりが大きくなっていきます。そして、落ち込むたびに顔を出すホームシックが私を苦しめました。私は特別にダメな子だ、日本へ帰りたいと何度も思いました。
 でも、後戻りもできない事もわかっていたし、諦めるのも、負けるのも嫌でした。まずは、自分を変える努力から始めなければなりませんでした。気持ちを奮い立たせて、ゆっくりと前へ進む。毎日、何かひとつ進む。今日はひとつ。明日はふたつ。自分のため、家族のために。
 何度も波はありましたが、徐々に楽しくなり、手応えを感じる事が多くなっていきました。友達もたくさんでき、行きつけのカフェや、お店もでき、日本にいる時のように、自転車やバスで、どこへでも行けるようになって、いつの日か、何も意識しなくても、楽しい毎日をおくれるようになっていました。
 留学の経験を通じて、手に入れたものは、語学だけではなく「自信」です。できる自信ではなく、「ダメでもなんとかする自信」です。私には、泣いていても進んで行く強さがある事を知りました。きっと、どこへ行っても、頑張れると思います。私はいろいろなコンプレックスが消えて、以前よりずっと、自分を好きになりました。これまで歩んできた自分の人生までも、キラキラと輝いているように思えます。そして、不思議と、私の家族まで輝いているように感じます。狭い家も、年中同じ服の母も、泣き虫の妹も、生意気な弟も、最高に素敵です。世界一の家族だと心から思ってしまいます。
 思春期の少年は、親と一緒にいるところを友達にあまり見られたくないものです。でも、大人になると、親の話を誇らしげにしたり、優しく手をひいて歩くようになるのは、この原理ではないでしょうか。きっと年齢がきたからというだけの事ではなく、様々な経験をし、成長して、自分に自信がつく事で、自動的に親の事も自信がもてるようになるのだと思います。
 このような事からも、家族と自分は直結していると言えます。「あなたは私」と言った言葉のとおり、家族とは、自分そのものであると思います。
 私はまだ、用意された環境の中でしか、努力も苦労もしていません。この先、色々な経験をして、良い挫折もして、その中でまた何かを見つけ、自分が磨かれていけばいいと思っています。そして、今よりもっと自分を好きになり、家族を好きになっていくに違いありません。
 昨年、妹が私を追いかけて、同じ学校に入学しました。そして、この冬、ヨーロッパに渡り、イギリスやフランスの歴史や文化を学びました。妹もまた、苦戦しながらも、日々努力をして前進しています。そんな妹の姿を見ていると、まるで自分が体験しているかのように、胸が高鳴るこの気持ち。まさに、「あなたは私」。妹もまた、私そのものなのです。私の体はひとつしかないけれど、家族の人数分の夢を見て、ドキドキ、ワクワクしています。


選 評 「ちいばあちゃん」 審査委員長 稲葉 真弓
 母と私、妹と弟の四人家族のなんという力強い絆。「自分で生きる力」を身に付けることが、家族全体の幸せに通じることを発見した布田さんは、すばらしい。ことにお母さんの存在がひかっていますね。この素敵なお母さんを中心に回っている宇宙が見えるようです。でもいまは、「自立」した布田さん自身が、自力で回る惑星になっているはず。留学など、苦労した体験や努力の過程が生きている布田さんの「負けない力」と、それを惜しみなく後押してくれた家族の力に乾杯です!


優秀作 「 ちいばあちゃん 」 津島高校 1年 後藤 由樹
 幼い頃の記憶。「おかえり。」と優しい笑顔で迎えてくれた祖母。私はそんな日々を今でも鮮明に覚えている。私はそんなちいばあちゃんが大好きだった。ちいばあちゃんという名はその当時、祖母の母も生きていて名の呼び方を考えたときに祖母の母より若いということで、小さいおばあちゃん「ちいばあちゃん」と呼んでいた。共働きの両親であった私にとって祖母の存在はとても大きなものだった。「ちいばあちゃん、あなたはあの頃のこと覚えていますか。」
 中学生になり、祖母とのかかわりが一気に減った。部活をやっていたこともあり、小学生の頃よりも家に帰るのがすごく遅くなるからだ。祖母の優しい笑顔を目にしなくなったのはその頃であろう。
 食べたこと自体を忘れる、日付が分からない、怒りっぽい、表情が変わる、寝てばかり…そう、祖母は認知症と診断された。正直言って、信じられなかった。あんなに優しくて、大好きだったちいばあちゃんが世間で言われている「ボケ」になってしまったという事実を。演技しているんだ、嘘だ、私はそのように思うことで心を落ち着かせていた。
 祖母が認知症になったことで、様々なことを考えさせられた。私はまず第一に感謝の気持ちは伝えられるときに、伝えなければならないということを思った。次に何があっても家族は家族であるということを。
 一つ目は、今までは「やってもらえてあたりまえ」という考えをもっていて、素直に「ありがとう。」という言葉が言えていなかったということだ。相手が家族、友人、先輩、先生など誰であっても伝えたい。二つ目は、家族に何があっても助けることができるのも、家族、支えてあげることができるのも家族であることを忘れてはいけない。これから先、私の家族に何が起こっても、関係ないなどと勝手な考えを捨て、頼られる存在にならなければならないと思う。
 そして、私は自分の未熟さに驚いた。どれだけ人に頼って生きてきたのだろう、と悔しさというより惨めさを感じた。「自分一人では何もできない」という考えが浮かんだ。祖母ができなくなったことを私がサポートできない。それは単に、私が誰かに頼りすぎて生活してきたからである。
 自律心のなさに胸を痛めた。ガスコンロがつけられない、洗濯物がたためない、カーテンの閉め忘れ、など考えれば何個もある。それは全て祖母がやっていたことだ。こう考えれば祖母の存在は大きかったのだと思う。
 それと同時に、父親と母親もたいへんであるということに気づいた。小学生の頃、「なんでママいないんだろう。」と感じて寂しい思いをしたことがあった。その時はただ、なぜ母親が家にいないのか、とは考えることができなかった。私たちのために必死に働いていたのである。祖母のおかげで今まであたりまえに思われていたことを再確認した。
 施設へ入れずに、家で祖母の面倒を見ることを私はものすごく拒否した。一緒に生活なんてできるわけない。でもふと思った。あれだけ家族のために頑張ってきてくれた祖母のことを放置してしまうのか。感謝の気持ちも言えてない。恩返しの意味も込めて、少しでも手助けしたいと思った。
 祖母は週に三回程、デイサービスを利用している。デイサービスとは認知症やお年寄りの人などを対象として、半日面倒をみてもらえるというものである。
 デイの人が朝、迎えに来る。「行けないので。」と叫ぶ祖母の姿。それを「大丈夫だよ。」と優しい声をかけて車に乗せるデイの人。私はこの仕事を日々尊敬している。どんなことを言われても、笑顔で受けとる。なんて忍耐強いのだろうと思った。しかし、あれだけ行きたくないと言っていたデイから帰ってくると、きちんと「ありがとうございました。またお願いします。」とお礼を言う祖母がいる。そう笑顔で言う祖母の姿はなぜだか輝いて見えるのだ。
 「これね、デイで作ってきたんだよ。」と私に工作を見せてきた。祖母はデイで、カレンダーやクリスマスツリーや様々なものを作って持ち帰ってくる。機嫌の良いときだと私にそれを自慢してくる。少し前までは、うっとおしいと感じていたが、最近では「すごいね。一人で作ったの。」などと会話をするようにしている。
 このような情景はなんだか懐かしみがある。なぜなら、私も小学校低学年のとき、祖母に学校で作ってきたものをよく自慢していた。その関係が変化しただけ、と考えるのには時間がかかった。でも今では、祖母の笑顔が見られるだけで嬉しいと思う。あの頃を思い出すようで初心に戻れる気がするのだ。
 改めて人の笑顔とはすごいものなのだと感じた。だからこそ、家の中を「笑顔」であふれる場所にしたいと深く感じた。何かをやってもらって笑顔でありがとう。あたりまえのことをあたりまえにするだけでいいと思う。
 「あなたにとって、家族とは何ですか。」そういう質問をされたとき、みなさんはどのように答えますか。私は自信をもって答えることができる。「かけがえのないもの。」と。一見なんて簡単な答えなんだろう、と思う人もいるだろう。でも、何にも代わりとなるものがないものが「家族」である。
 高校一年生になり、自律心をより高めていかなければならない時期となってきた。家族に頼らず生きていかなければならない。自分でできることはやる。
 「ちいばあちゃん、あなたのおかげでたくさんのことを学べました。ありがとう。」この感謝の気持ちが届くことはきっとないだろう。だから、私はこれからも祖母の助けとなることで感謝を伝えたい。家族として、一人の人間として支えられる人でなく支える人として生きていきたい。


選 評 「ちいばあちゃん」 審査委員長 稲葉 真弓
 高齢の祖祖母が認知症になり、あんなに濃密だった触れ合いが段々減っていく。それをまのあたりにしつつ、大切なことを元気なときに伝えられなかった自分を悔やむ「私」。「ちいばあちゃん」にやってもらっていたことを、あたりまえのように思っていたけれどそれはちっともあたりまえのことではなく、「私」を支えるなにかだったという「気付き」が、とてもよかったです。支え、支えられながら家族はあるのだという、その思いを大切にしてください。


優秀作 「 家 族 」 津島高校 3年 平井 菜々美
 家族は、私にとって大変かけがえのない存在である。しかし、日々の生活の中で、家族がそばにいるということがあまりにも自然であり、その存在の意義や価値について、改めてじっくりと考える機会はなかった。
 現在、私が学校や普段の生活を楽しく過ごせているのは、家族という「快適な基地」があって、行き帰りがいつでも可能だからである。父は普段仕事で忙しく、最近は姉や私の帰宅時間もまちまちで、時間のリズムもバラバラになるが、コミュニケーションが不足しているとは思わない。母は、私たち子供と同じ空間にいることを強く望み、小さい時から、放課後の勉強や遊びなど、生活のほとんどをリビングルームに集約する習慣づけをしてきた。朝が早く帰宅も遅い父は、家で過ごす時間が無いにもかかわらず、子供たち相手に一生懸命無駄話をしようとしている。しかし、べったりくっつき合う「友達感覚の親子」ではなく、夫婦と子供たちとは明確に区別されていて、「親は偉い」といった上下関係を重視している、という感じである。
 「三世帯が全員で、決まった時間に食事を取る」という昔風の家に育った母は、自分の家庭においてもそれを崩したくないと思い、バラバラに食事をすることをさせない。普段は、私、姉がそろうまで夕食を待って三人で食事をし、父の休日には、許す限り家族四人全員での食事を心がけている。また、我が家では、食事中に携帯電話を見ること、触ることを禁じている。テレビを見ることも昔は厳しかったが、携帯電話は特に厳しい。それは、食事のマナーの基本であるとともに、注意がバラバラになるのを防ぐ意味がある。外で食事をしていて見かける光景だが、家族が食事をしながら携帯電話を手放さず、メールや着信があるたび、食事や会話が中断する。食事中の携帯電話の使用は、お互いに迷惑にならなければ大丈夫と思っているのだろうが、何か見えない壁ができて、確実に注意が外に向いてしまっている。私たちにとって、とても便利な携帯電話、パソコン、ゲームなど、さまざまなアイテムは、良い反面、家族間のコミュニケーションを奪い、親が子供のことを知りにくくする行為であることに間違いないと思う。これからの家族は団らんもできなくなるかもしれないのかなと、不安になる。
 また、最近のニュースでよく、家族間での悲しい事件を耳にすることがある。近年の統計などを見てみると、家族間でのトラブルは増加しているそうだ。背景の一つに、核家族におけるコミュニケーション不足が考えられる。昔の日本は、私の母の育った家庭のように大家族が多く、父親を頂点として、しっかりとした家族の決まりがあった。しかし、核家族化が進んで、この制度は崩壊しつつあると思う。なぜなら、今の父親は仕事に忙しく、不景気の中で生活費を稼ぐために心や時間に余裕が無くなり、子供たちに接する時間が少なく、母親だけが子供のしつけや学校での問題に関わることになり、相談する祖父母もすぐ近くにいないために、考え方が偏ってしまうからだ。また家族の数が少なくなったため、挨拶や会話の数も減った。さらに、子供たちが携帯電話を持ったり、インターネットを使うようになると、直接目を見て話をすることが減り、問題が起きたときでも、インターネットで簡単に検索して解決してしまえるので、人と繋がらなくてもよくなった。そこで、他人や家族との希薄化が起こって、あまり人と関わりあいたくなくなって、お互いを気遣ったり、助けようという気持ちが弱くなってきて、ただむかついたというだけで、親に暴力を振るったり、子供に手を上げてしまったりするのではないだろうか。少子化、高齢化、不況などが進み、その流れは避けられない。また、だんだんメディア機器の力が押してきて、個人の時間が増える。そしてそれぞれが孤立化していく。これを少しでも食い止めるために、もっと気持ちにゆとりを持ったり、あえてコミュニケーションをとることが大切だと思う。笑いあったり、会話を増やしてみたり。思っていることを伝えないと、家族といえども分かり合えない。素直に言い合うことで、意思の疎通を図るべきだ。そして家族の価値というものをもう一度見直す必要がある。
 全体を通して、家族には、「コミュニケーション」というキーワードが一番大事だと思った。いつもそばにいると思っている家族だが、もうあとどれくらい一緒に過ごせるか分からない。積極的に会話をしたり、同じ時間を共有するなど、これからも家族の一員として、よい状態を維持するために何ができるかを考えて、一緒に過ごす一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思う。
 もしも将来、私に新しい家族ができても、一番にコミュニケーションを大切にしたい。社会は大きく変わっているであろうが、今、父母が自分にしてくれていることを継承していきたいと思う。そして、生まれてくる子供にも、家族とは本当にかけがえのない存在だ、ということを分かってもらいたい。


選 評 「ちいばあちゃん」 審査委員長 稲葉 真弓
 「家族ってなんだろう」と一生懸命考え、平井さんが導き出したのが「快適な基地」という言葉でした。父母と姉と私の四人が、一番大切にしているのはコミュニケーション。ことに食事の際には携帯電話は絶対に使わない、触れないと決めていること。こうした小さな約束事や節度が生きている家族のすばらしさが隅々にあふれていました。一緒に過ごす時間の大切さを伝える論文です。どの家族もこうだといいのに、とつい思ってしまいました。


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◆平成23年度 懸賞論文 入賞者氏名

( ※ 応募総数 341名 今回はすべて津島高校生からの応募でした )


◇テーマ『家族』
◇応募総数398点 
◇入賞作15点

 <最優秀作>2年佐藤千玖紗
 <優秀作> 2年大口史容2年高尾和香菜
 <佳 作>2年野田美紀2年田仲燿子2年岩田美希
      2年鬼頭美帆2年佐藤麗菜2年鈴木あすか
      2年新野夢佳
      卒業生井戸菜摘 卒業生宮城並季 卒業生望月麻帆


◆最優秀作・優秀作・選評


最優秀作 「 命 生きるとは・・・ 」 津島高校 2年 佐藤 千玖紗
 私たち人間は、水と食べ物と睡眠があれば、生命を維持していくことができると思います。それだけを考えると今の日本においては、生きることは難しいことではありません。しかし、それは生きることといえるのでしょうか。つまり、「生命を維持する」ということと、「生きること」は同じなのか、ということです。
 私は同じだとは思いません。私は「生きること」は、食事や睡眠などの基本的な行為よりも、そのほかの、生きるためにどうしても必要というわけではないような行為、または豊かな感情、感受性などのプラスアルファの部分が大切になるのではないかと考えています。
 私は友人のために手作りの誕生日プレゼントをつくったことがあります。渡した時の友人の笑顔を想像しながら一生懸命に私はつくりました。そのときの時間は自分でもとても楽しくしあわせな気分になりなした。受け取ってくれたときには、友人の想像以上のとびきりの笑顔に、また自分は幸せを感じることが出来ました。それはちょっとした普段の何気ない会話でも同じで、自分の冗談に相手が笑ってくれるだけ私はとても嬉しくなります。相手に楽しい気持ちになってもらえることは、自分が楽しい気持ちになることにも繋がります。誰かを笑顔にすること。これは私にとっての「生きること」の一つだと思います。
 私はよく夜に外に出て、星空や月を眺めたりします。また、芸術鑑賞をすること、具体的には絵を見たり、コンサートやレコード・CDでクラシックなどの音楽を聴くことが好きです。それらを見たり、聴いたりしていると、思いが言葉にならず、自然と涙が溢れたりすることがあります。その瞬間、流れた涙によって、私は今生きているということをふと思い出させられるのです。ものの美しさを感じられること。これもまた私にとっての「生きること」です。
 人がなにがしからの行動をとれば、なにがしからの影響が起こると思います。しかし、私は自分が誰かに影響を与えることがあるとは、あまり思っていませんでした。私は、今までの人生で一度だけ、死にたいといったことを、友人にこぼしたことがあります。自分に生きている価値なんて無く、むしろ迷惑をかけているだけなのではないかと思ったからです。しばらくしてから、その友人は私に手紙をくれました。そこには、その友人が、今の道を歩いているのは、私の影響が大きいのだといった内容とともに、感謝の言葉が書かれていました。それを読んで私はまず、ただただ驚きました。今まで本の中の登場人物に影響を与えられることはありましたが、まさか自分が他の人に良い影響を与えていたとは、思いもしていませんでした。自分が知らないうちに人に影響を与えていたということは、私にとってとても驚くべき事実だったのです。
 私は音楽部に所属していますが、それから暫くしてからです。部活で私が楽器を練習していた時、友人が私の演奏を聴いて、「感動で思わず足がとまった」と言ってくれたことがありました。そのとき、こんな自分でも誰かを感動させることが出来るのだ、ととても嬉しく感じ、心が満たされた感じがしたのを今でもはっきりと覚えています。
 これらの経験から私は新たに、「生きること」の新たな意味を見つけられた喜びを感じました。そして私は、ふと、「生きる意味を見つけていくということこそが、生きているということなのではないか」と思いました。
 最初に私は「生命を維持すること」は簡単だと言いました。確かにそうだと私は思います。しかし、「生きること」は決して簡単なことなんかではありません。私が述べた、私が考える「生きること」も簡単にできることばかりではなく、難しいこともたくさんあります。
 何もかもがうまくいっていては張り合いがありません。また、苦労して乗り越えたその先に、達成感や喜びがあるからこそ辛い時でも頑張ることが出来ます。簡単ではないが故に生きるということは楽しく素晴らしいものになるのだと思います。
 これからも、生きていれば楽しい出来事だけでなく、必ずたくさんの辛い出来事もあると思います。しかし、辛い時でも私は乗り越えるたびに、新たな「生きること」の意味を見つけて、たとえ少しずつであっても前に進んでいきたいと思います。そのようにして、日々自分の人生の質を上げていき、スタートラインでは自分より前に立っていた人も追い抜かせるような、密度の濃い充実した人生を生きたいと思います。そして、欲張りかもしれませんが、叶うことなら私は、後生にわずかでも自分の光を残していけたら、と思います。きっと、命は自分の力で輝かせていくものです。だから私は私の見つけた、自分だけの生き方で命を輝かせて、毎日をしっかりと生きていきたいです。


優秀作 「 い の ち 」 津島高校 2年 大口 史容
 僕は、命についてどういうことか言葉から考えることにしました。
 どうして「いのち」なのでしょうか。「命」ではなく。
 僕は、割と漢字を好んでいるので、文章を書く時などでも、自然と漢字が多くなっています。そのためか分かりませんが、文章を読んでいて、簡単な漢字で表記できるものが、ひらがなで書かれていると、少し違和感を抱いてしまいます。しかし、この作文を書くにあたって、テーマである「いのち」の言葉を見た時、私は全くと言っていいほど違和感を持ちませんでした。後になってとても不思議に思いました。どうして、あんなに自然に「いのち」という言葉を受け入れられたのでしょうか、と。
 「いのち」という言葉は、和言葉である。後に漢字が伝来し、この言葉に「命」という漢字を当てはめたのだが、漢字の持つ意味と和言葉の持つ意味とは、ニュアンスが微妙に異なっています。「いのち」の語源を調べてみると、いろいろと説はあったのだが「息の道」、あるいは「息の内」という言葉からきているらしいということが分かった。どうやら、日本人は「いのち」を「息をしている状態」と考えていたようである。日本語には、「息を引き取る」という言葉がある。これは、ただ単に「息が止まる」という意味だけを持つのではない。この言葉には、亡くなられる人の「息」を残された人達が引き取り、「いのち」を伝えていくという意味も含んでいるのだ。つまり、残された家族や友人に「いのち」を引き取られるということなのだ。このことから「いのち」は消滅したり断絶したりするものではなく、次から次へと伝えられていくものだと考えることが出来る。「いのち」は、尽きることなく続いていくものなのだ。それでは、「命」とはどういうものなのだろうか。
 「命」は、「口」と「令」とに分解することのできる会意文字である。「口」は、伝達という意味を表し、「令」はお告げという意味を表している。よって「命」とは、「天から授かった、生きる定め」というニュアンスをはらんでいるのである。「天命」という言葉があることから分かるように古代中国では、「命」という言葉に「天から授けられた」という意味を強く込めていたのだろう。
 このように考えていると、私が「いのち」という言葉を簡単に受け入れられたのにも、納得がいった。知らず知らずのうちに自分の中にも和言葉としての「いのち」のニュアンスが染みついていたのだろう。先に書いた「息を引き取る」という言葉について考える中で私は二年前に他界した祖母のことを思い出した。祖母には子どもが五人おり、彼等の意見では、病院での延命治療はさせたくないということだった。たくさんの管につながっている祖母の姿は、見るに耐えないものなのだろう。祖母の苦しみを持続させるのも、当然辛いはずだ。そういう訳で祖母は介護老人保健施設に入所した。毎日誰かが訪問しては、祖母を見舞っていたという。これは、時間をかけた「息の引き取り」ではないだろうか。私は今になってそのように思った。長い時間をかけて、祖母の「いのち」を子ども五人で引き取っていったのだ。
 祖母の「いのち」は、次の世代へと受け継がれたのだ。
 夏休みには、様々な主催者が小論文や作文を募集しているが、そのテーマとなっているものは、今、本当に考えなければならないものばかりだった。「国際協力」や「原子力」「環境」など。その中で「いのち」というテーマがあがっているということは、この言葉について本当に考えなければならない時代が来ているということだ。「いのち」の尊さが失われている現実がある。ということなのだ。
 「いのち」という言葉からいろいろなものを読み取って感じとってほしい。今、この瞬間にも誰にも看取られることなく失われていく「いのち」があるのだ。「いのち」という言葉に限らずとも、一つ一つの言葉にもっと興味を示してみてはどうだろうか。そうすれば、その言葉はとても大きな意味を持つようになり、大きな広がりを見せるのだ。
 ということで私は、「命」について言葉から考えてこれほどまでも深い意味があったとは気付かなかった。
 「いのち」という言葉を考えた時、生きるとは最後まで天寿をまっとうすることだと思う。近頃、若者が自殺している記事やニュースをよく見る。今も自殺したいと願っている自殺志願者がいるわけで、その人達にとっての「命」とは苦しみや悲しみで、その人々に私は何もいうことはできないが、「命」は苦しみや悲しみを生むけれども、「命」を失っても苦しみや悲しみを生むと思う。今回、「命」について改めて考えることができ、良かったと思う。


優秀作 ( 生 き る と は ) 津島高校 2年 高尾 和香菜
 「生きること」それは、自分の周りの人の気持ち・感情を変化させることだと思う。 現在、生きている人々の多数は笑顔でいるだろうか、泣いているだろうか、怒っているだろうか。どのような感情をもっているかは、人それぞれ違うが、その感情はほとんど自分だけでは生まれない。自分の周りにいる人が、その感情にさせているのだ。
 私の祖母は、私が中学生の時に亡くなった。祖母が元気に生きていた頃、私が会いに行く度に、私が大好きだったお菓子を買ってきてくれたり、太陽の光のようなまぶしい笑顔を私に向けてくれた。私は祖母に会ってその笑顔を見るたびに、私も笑顔になった。私にとって祖母は太陽のように自ら輝きを放つ人であった。
 しかし、ある日突然、私を幸せな気持ちにさせてくれた祖母が、ガンであることを聞かされた。いつも元気で、わたしを笑顔にさせてくれた祖母が、どうしてこんな病気になったのか全く理解できなかったし、これからどのように祖母に接すればよかったのかわからなかった。すぐにでも祖母の元へ行ってあげたかったけれども、私が中学の時やっていた部活動は、とても厳しく、1日の練習量が多く、休みが数える程しかなかった。そのため、ガンだと聞いていたのに、私はなかなか会いにいけなかった。やっと休みがとれて、祖母に会いに行くことができたが、祖母はやせ細っていて、喋ることも少し難しい状態になっていて、一瞬 祖母であるのか疑った程であった。
 人はいつか死んでしまう。命が消えてしまう。そんなことはずっと前から知っていることなのに、命が消えてしまうかもしれないということが、言葉で表せないくらい怖くて、悲しくて、辛いものだということを知った。祖母にどう接すればよいのかわからなかったが、とにかく笑顔で接した。祖母が私を幸せな気持ちにしてくれたように、次は私が祖父母を笑顔にしてあげたいと思い、必死に祖母の前では笑顔をつくった。 本当は、祖母が死んでしまうことが怖くて、私の心は泣いていた。けれども、祖母の生きてきた人生に、少しでも「楽しかった」と思えた回数が増えて欲しかった。その時の私の心の中は、大好きだった祖母が、微笑んで欲しいという気持ちでいっぱいだった。
 そして、祖母はその数ヶ月後に亡くなった。お葬式で見た祖母の姿は、前会った時よりも、さらに細くやせて、冷たかった。祖母の顔を見た時、笑顔で私を真っ直ぐ見つめる祖母が頭の中に映った。「きっとお婆ちゃんは今、天国で私にくれたあの笑顔でいるのだろうな」と一瞬思った。その後、私は「一つの命はこんなに突然失われてしまうけど、命がある(生きる)ことによって、その人の周りにいる人を幸せな気持ちにさせてくれるものだなあ」と改めて感じた。
 私は祖母の死から学んだ。生きることの大切さを。そして決心した。私の周りで生きている人を、一人でも多く笑顔にしてあげるための行動をするということを。
  私はよく「ノー天気」な人だと言われる。確かにそうかもしれない。いつも笑っているのだから。けれども、私にも悲しいことや辛いことも沢山ある。人前ではそんな感情である時も、笑顔でいるだけだ。
 自分が悲しい顔をしていると、それを見た人もかなしくなるし、雰囲気も暗くなる。しかし、自分が笑顔でいれば、他人も 笑顔になって楽しく感じる。それを知っているからこそ常に周りの人が笑顔になるように笑っているのだ。私の場合、自分が楽しめるような行動をして自分が笑顔になることより、他人が楽しめて笑顔になってくれる行動をする方が好きだ。小さい頃からそう思っていたのかはわからないが、祖母が亡くなって、決心したときに改めて思った。
 「今私は周りにいる人を笑顔にさせているのだろうか」「私は他人にどんな影響を与えているのだろうか」 自分が決心したことが実行中となっていて欲しい。そして、周りの人々の笑顔がもっと増えてほしい。今の世の中、失業率が高く、景気もよくないため、世界中の人々の笑顔数が減少していると思う。お笑い芸人がテレビを見ている人を笑わせることも、他人を笑顔にさせるための一つの手段であるが、私は、一瞬だけ笑顔になることをするのではなく、「あのとき生きていたから、笑顔になれたのだ」と、過去を振り返った時に思い出せるような、人に影響を与える行動をしたい。祖母がその一例である。私は今、祖母を太陽のように自ら輝きを放つ人であると思っている。それと同様に私も誰かにそのように思われ、私が生きているから笑顔になれると思われる日がくると嬉しい。私の決心は一生壊れることがないと信じている。誰になんと言われても、私の生きる理由、決心はきっと変わらないだろう。私が書いたこの文章を読んで、少しでも多くの人々が、自分が生きる理由や自分の命とは何なのであるかを考えてくれたら嬉しい。もし、生きている理由がわからない人がいたら他人を笑顔にさせる行動をまずしてみて欲しい。


三稜会 懸賞論文 「 命 」


選 評 審査委員長 稲葉 真弓


◎ 最優秀賞 佐藤 千玖紗
どこに生きる喜びを持つか、それはどうやったら得られるのか。佐藤さんの論文は、「命」のありようを精神の豊かさにつなげたところに読み手を打つものがありました。ことに私は、人間は水と食べ物と睡眠があれば生きられるが、それは生きることと同じだろうか、と問いを投げかけた部分に「生」の本質を考える視線を感じました。そう、佐藤さんの言う通り、豊かな感情、感受性があって始めて「命」は輝くのです。それぞれの命の輝きが、小さな喜びを通じて隣りの人につながっていくこと。この発見を大切にしてください。


◎ 優秀賞 大口 史容
「いのち」と「命」の違いを表記の違いから考えてみたユニークな切り口に、他の論文とは違う味わいがありました。印象深かったのは、「息を引き取る」という言葉に関する部分。「引き取る」とは単に人の命が「むこうに引いて行く」という意味だけではなく残された人がその人の命を「引き受けること」なのだという説には感心しました。これこそが本当の命の連鎖の形かもしれませんね。


◎ 優秀賞 高尾 和香菜
おばあさんの死を通じて、自分の出来ることを精いっぱいやった体験が描かれています。死は本人もつらいしそれを受け入れる周囲もつらい。
 高尾さんはそのつらさのなかで「笑顔」を信じておばあさんを見送りました。ぎりぎりまで笑顔を忘れず向き合った二人の姿が目に浮かぶようです。だれかを幸福にするための小さな行為が光る論文でした。


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◆創立110周年記念 懸賞論文 入賞者氏名


☆ 創立110周年記念 三稜会主催 懸賞論文 最優秀作品
  * 愛知県立佐屋高等学校 1年 稲山 未来
☆ 優秀賞と佳作は下記の通りです
  * 優秀賞は2名 ( 稲沢高校1名、津島高校1名 )
  * 佳作は11名 ( 美和高校1名、稲沢高校1名、弥富高校1名、津島高校8名 )


◆最優秀作・選評


「 稲山 未来の考える未来 」 愛知県立佐屋高等学校 1年 稲山 未来
私の将来の夢は、教員になることです。小学四年生の時の担任の先生に憧れ、なりたい・・・ と目指すようになりました。でも最も叶えたい私の夢は、教員という職に就くことだけでなく、 これから生きていく何十年のうちに出逢うすべての人々に愛と幸せを分け与えることのできる 大人になることです。
 私の母は、私を産むまでに二日間もかけて必死に産んでくれたそうです。そして、やっとの ことで私がこの世に生まれてきた数時間後には、阪神淡路大震災が起こりました。母は、死ん でしまうのだと思ったそうです。母は地震だったのだということをテレビのニュースで知った とき、神戸での苦しむ人々の姿を見てとても胸が苦しくなったそうです。そんな時、母は父と、 私の名前を"未来"にしようと決めたそうです。その由来は、大地震で苦しむ全ての人々に幸 せな未来がありますように、と私にたくして願いを込めて名付けたそうです。だからこそ、私はその込められた願いを背負って生きたいです。今まで、私は持病のぜんそくもあり、人々を助けるどころか、周りの人々の何倍も迷惑をかけ支えられてここまで生きてきました。だからこそこれからの人生は、人の何十倍もその恩を返していきたいです。今の私には、まだどういう形で愛や幸せを分け与えていけば良いのか方法が見つからないけれど、これから探して少しでも自分が人の役に立てることができたならそれが自分の幸せにも繋がっていくのではないのかなと思います。そして、人々に愛や幸せを分け与えていく間に、人と人との出逢いを大切にして素朴な人生にできたらさらに良いなと考えています。 
 又、愛や幸せを分け与えたい、プレゼントしたい!と一番に想うのが両親です。実は、私の家は母子家庭です。周りの友達は、ほとんどこのことを知りません。今も含めて、人にこのことを知られるのが嫌です。別に今の時代、母子家庭なんて少なくないし、恥ずかしいことだとは思いません。それは、分かっているのにどうしても打ち明けることができません。ほとんどの友人には、父は海外出張だと告げて、私はこの十六年間の人生、ウソをついて生きています。罪悪感はとってもあります。でも、ウソは一回ついてしまえば、真実を言うことができなくなります。だからずっと言うことができませんでした。でも、この論文を書くことによって何かが変われば、自らの力で変えることができたらいいなと思っています。 
 でも、言わない理由は、塗り重ねたウソのせいであり、決して母子家庭が恥ずかしいという訳ではありません。逆に言えば、母子家庭で良かったなと思っています。正直に言うと周りの友人の父親の姿をうらやましく思ったり、少しさみしいと思うこともたくさんありました。でも、その分、母がカバーしてくれて、それ以上の愛情をもらいました。なので、母子家庭で良かったです。この言葉に嘘は全くないです。私を愛し、育ててくれる母が大好きだし、今まで私の教育で苦しいことも悲しいことも頑張って乗り越えてここまで育ててくれた母に、たくさんの幸せをプレゼントしたいです。いくら幸せをプレゼントしてもし足りないぐらい、本当に母には感謝しています。まだまだ、これからも一緒に楽しみを共有し、幸せな人生を母と一緒に送っていきたいです。 
 私がこの世に生まれることができたのは、もちろん母だけのおかげではないと私も理解しています。だからこそ、父にも感謝しています。父との思い出は何一つ覚えていないけど、父のおかげで生まれてくることもできたし、ここまで心が強くなれたのも父のおかげだと思います。だから父にも感謝しています。幼い頃の私は、父の顔など覚えていなかったし、離婚ということも理解できず、"捨てられた"としか思うことができずに嫌いだった時期もあったけど、母と二人でつらい時もどんなときも父を恨んだことは一度もありません。今は、理解もできたし、父のことも母と同じくらい大好きです。父とは、一緒に暮らしていないし、これからも一緒に暮らすことも絶対にないけれど、血はずっと繋がっているし、この関係は崩れることがないのだから、お互いに自分の生きたいと思うように生きていけたら、私はそれだけで幸せです。 
 遠く離れていて元気にしているか分からなくて不安だけど、楽しく生活していてくれたらいいです。 
 私も、両親が頑張っている分、頑張らなきゃなと思っています。私が在学する佐屋高等学校は資格をたくさん取得でき、他の学校では経験できないことを経験できるところが魅力です。その魅力を活かして、たくさんの資格を取得し、他ではできない経験をして成長して、学校生活の充実を目指し、日々の一日一日の生活を大切に頑張っていきたいです。佐屋高校での三年間を大切にして、一歩でも自分の夢に近づきたいです。 
 稲山未来としての人生は一度しかありません。だからこそ、今の自分だからできることを日々探して、ムダなく生きていきたいです。好きなことは好き、嫌いなことは好きに近づけるように何事もプラス思考になって積極的に物事に取り組んで、全て自分の力にしていきたいです。まだまだ人間として年齢も低いし、精神的にも未熟だけど、いつかこの論文を思い返した時、実現できたって言える大人になりたいと思います。これからの人生、たくさんの人に出逢うと思います。その出逢いを大切にして、もっともっと出逢って、出逢いつくしたいです。人々に愛と幸せを分け与えることのできる人になるため、私は、これから準備をして夢の実現にそなえて頑張ります。この論文を読む方々にも、私の想いが伝わったら嬉しいです。すべての人々が幸せを実感できますように・・・。 
 それを私は心から願っています。
 

以上


津島高校 創立110周年記念 三稜会懸賞論文 選 評


審査委員長 : 稲葉 真弓(津島高校20回生 )


最優秀賞 「 稲山 未来の考える未来 」 愛知県立佐屋高等学校 1年 稲山 未来
 自分の立ち位置がしっかりと見えている強い作品だと思いました。この論文を書いたことで、これまでだれにも言えずにいた「母子家庭」へのコンプレックスが払拭されたのですね。そこを読んで私は強い感動を覚えました。書くことは「自分をさらけだすこと」ですが、そのさらけだした自分から「新しい私」を発見していく心の動きが作品の隅々ににじんでいました。
 未来さんの「未来」は、頭で考えた「未来」ではなくて、お母さんとの二人三脚の生活、不在であるお父さんへの思いなど実感から成り立っている。父母に対する深い感謝の気持ちや、「幸福」のありかを考えようとする姿勢もすばらしかった。これからも他者を大切に、名前通りのいい「未来」を歩いてください。

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